たかさんち実践報告書

〜あそびと駄菓子屋「たかさんち」の実践報告(平成14年)〜

事業内容

(1)OPENまでの経緯と背景(ねらい)
@駄菓子屋を始めたきっかけ  
駄菓子屋を始めようと思ったのは、平成8年の2月。あそびプランナーとして、児童館、教育委
員会、子ども関係施設等において、子どもや指導者にあそびの提供をする講師活動を行って
いるので、今度は、地域でも、自分のところに子ども達を集めて、今までの経験を生かした居
場所を作りたいと思っていた。今の子ども達は、ずっと誰かに監視され、なにかをしてはいけな
い目で見られている。でも、ほっておかれていても、誰かに見守られている時間とスペースが必
要だと思っていた。
そこで、今まで関わってきた子ども達に、「あそびの提供の出来る場所を作りたいんだと。」と
話すと、「子どもを集めたいのなら、お菓子を置いたらいいんじゃない?」との答えに「そうか!
駄菓子屋だ!」と、ひらめいた。以前、テレビのドキュメントで駄菓子屋を取り上げていたのを
思い出した。昔、公園などで、紙芝居を見ながら子ども達が飴やお菓子をほおばっていた。そ
んなイメージの駄菓子屋がいい。物を売るだけでなく、あそび場ともなる、子ども達が主人公
で、家庭でも学校でもない居場所、新しい形の駄菓子屋を実家の一室を開放して始めることに
した。

AOPENまで
 駄菓子屋を始めるにあたり、リサーチが必要と、都内の駄菓子屋の数を調べてみた。以外
に、駄菓子屋に関する文献や情報の無いことに気付いた。たまたま、駄菓子屋を一同に集め
たイベントの資料が手に入り、平成8年より何年か前で、都内約100件営業していることがわか
ったが、高齢化と、少子化等の影響で衰退の一途をたどっているということだった。逆に、最近
の駄菓子屋というと大人を対象としたり、なつかしさを売りにしたチェーン店が増えてきている。
昔ながらの人とのふれあいから、販売目的の営業形態、コンビニ化へと、変化し、ホッと腰を
降ろす、ゆとりのある子どもの居場所的な香りは感じられなくなってきている。
何軒か、直接駄菓子屋にも、アンケート調査のような形で訪ねてもみた。しかし、どこも、万引
きや子ども達への不満の声ばかりで、おおらかに子ども達との関わりを笑い飛ばす勢いで話し
てくれる所には出会えなかった。所詮、商売であり、ボランティア意識で営業してやっていける
ような時代ではないのかもしれないが、大人と子どもとの溝は、こういう所にも現れてしまって
いるのかもしれないと感じた。
そこで、私の店は子ども達の味方になり、子ども達の意見を取り入れ、話し合い、とにかく、交
流を深める店にしたいと思った。実際、店を始める前に、あそびの指導の関係で近くの小学校
と関わっていたので、「今度、駄菓子屋を始めるからね。」と子ども達に声掛けをしておいたとこ
ろ、開店準備に気の合った子ども達が手伝いにきてくれた。何日も顔を出し、値段表やポスタ
ーなどを書いてくれた。手作りの駄菓子屋の始まりであった。子ども達に「たかさん」と呼ばれ
ていたので、店の名を親しみやすくわかりやすいように「たかさんち」とした。

BOPEN
地域の中で、親でも教師でもない大人が、間接的な子育てに協力し、見えにくい子ども達の関
わり合いを見守り、援助していく、子どものための居場所作りを、以下のことを掲げて、平成10
年4月にあそびと駄菓子屋「たかさんち」としてOPENした。

☆OPEN理由
○日常的に子どもと関わりたい
・学校や家庭でみせない素顔を知りたい
・あそびの指導をする上で子どもとかけ離れたくない 
・子ども社会の情報を生かしたい
○地域の役に立ちたい
・育った町に愛着がある
・異動がなく同じ場所で子どもの変化が見られる

☆目的
○本当の子どもの様子を見て感じて世間に伝える
・今も昔も子どもの本質は変わっていないと思う
・マスコミの情報を違うのではないか 
○何かを生み出す
・子どもの才能、エネルギーを引き出す
・新しいあそびを作り出す
・新しい駄菓子を開発する
☆構想(子ども達の新しい居場所作り3段階)
○ホップ(1段階)
【子どもについて】
・日常の様子を書き留める
・データ−を取る(学年別人数等)
【駄菓子について】
・種類の調査
・売れ筋の調査
・情報収集
【店に役割について】
・地域において安心、信頼される場所の定着
○ステップ
【子どもについて】
・日記をしてまとめる
・データ−のまとめと分析
【駄菓子について】
・実際への適応(アンケート、モニター、メーカーへアプローチ)
【店の役割について】
・地域の役に立つ場所へ
○ジャンプ
【子どもについて】
・世間に伝える(出版、論文等)
【駄菓子について】
・発明(新しいお菓子の開発)
【店の役割について】
・夢を叶えられる場所へ(バンドや同人誌など)

(2)具体的な活動

@OPEN当初
 スタートは、駄菓子の販売の他に、あそびプランナーとしての「あそび」の提供を意識して、母
の日のプレゼント作りなどの工作(材料徴収)やTVゲーム大会を月1回くらい、子どもボランテ
ィアによるミニミニ縁日は、半年に1回というペースで行い、誕生会や送別会の貸切も実施して
いた。また、夜間に、指導者等向けにあそびの講座も数回実施した。
 プレゼント作りなどの工作は、低学年の女子の参加が多く、TVゲーム大会は男子に人気が
あり、普段一緒に対戦出来ないような小学生と中学生が仲良くなり、盛り上がっていた。ミニミ
ニ縁日は、小学校高学年の女子がボランティアをかってでて、パソコンを使ったジャンケンくじ
や、ひもでお菓子を釣るくじびきなど担当し、楽しんでいた。子ども達は、買うことだけでなく、販
売や役に立つことにも興味を持っている。店の貸切りも、転校する子のお別れ会などに活用さ
れた。また、店に来ていた子と一緒に児童館の行事に参加し、クイズ大会を行ったこともあっ
た。大人向けのあそびの講座は、オリジナルの工作やキャラクターの折り紙などを行った。

A居場所としての駄菓子屋へ
2年目を過ぎた頃から、口コミなどで次第に客足が増え、あそびの提供を行わなくても、子ども
達が自然に集い始め、坐っておしゃべりの出来ることが居心地の良さとなり、駄菓子屋喫茶へ
と変化していった。「こんな所にあったんだ」と、隠れ家のような場所にあることから、「秘密基
地」との印象も与えたようだ。
TVゲーム大会などは、今でもやってほしいという声もあるが、日常の客数が増え、イベントを企
画しようものなら、この狭い店内ではとても対応しきれず、幅広い範囲で子ども達が集まってく
るので、すべてのニーズに答えるためには、場の提供に徹したほうが良いと判断した。また、
あそびをわざわざこちらで提供しなくても、子ども達が集い、おしゃべりするだけで、「あそび」に
なるということと、「あそび」や「楽しさ」は自分たち自身の中にあり、生み出すことが出来るのだ
ということを痛切に感じたからだ。
この頃から、駄菓子屋の魅力、駄菓子屋そのものの可能性、居場所となる不思議、駄菓子そ
のものが持っているあそび心というものを強く感じ、意識し始める。

2.現状

(3)子ども達との関わり方
@状況に応じた関わり
この場所では、どちらかというと、子供達とは、『消極的な』関わりを意識している。そして、自
主性を重んじ、ひとりのお客として認めた対応をしている。駄菓子屋には、お金や食べ物があ
り、人間の本質の欲が絡んでくる。小さな社会、経済が存在する。ここでのやりとりは、決して、
学校や家庭では経験出来ないものであり、見せない顔が現れる。いわば裏社会に近いものが
ある。興味ある話は、同じ目線で一緒に楽しみ、相談ごとや性教育的な質問などは、大人とし
てのアドバイスをする。仲間になったり、壁(そばに入るけど黙って聞いていない振りをする)に
なったり、状況に応じた対応をしている。
 悪いことは悪いと叱り、良いことは良いと褒めることと、決して子供に気を使わないことに気を
使っている。必要以上に愛想を振りまいたり、絶えずニコニコして、良い大人を演じることは、
かえって子ども達に違和感を与え、信用されない。ありのままに自分をさらけ出すことが、末永
く子ども達と関わっていける秘訣だと思う。また、子ども達は、人と比べられたり、「ひいき」をき
らう。特に思春期の子ども達は、担任が女性で、男子をひいきしたり(その反対も)などと、よく
愚痴を言う。そこで、中性的なポジションでの対応も意識している。

A子育てを意識した関わり
子供は、まだ、良い悪いの判断力が乏しく、そんなことよりも好奇心が旺盛で、楽しさや夢を求
めている。いくら健全を望んでも、裏に不健全というものがある限り、避けては成長出来ない。
予防しても気を許せば病気にかかるように、何が不健全なのかを知らない限り、健全を理解す
ることは難しい。不健全と共存していくには、自分の目で見て経験して、治す力(正す力)、免疫
力(負けない、惑わされない力)をつけることが必要に思える。やってはいけないこと、怪我をし
そうなことを、もう判っている大人が予め止めてしまっては、本当の怖さ、痛さの判断力はつか
ないのかもしれない。
駄菓子屋は、初めて自分の意思で、店に入り、握りしめたお金で駄菓子を選び購入する自立
への第一歩となる。自分で歩き始める大人社会へ通じる入り口でもあり、自分の目ですべてを
受け止め、真実を見きわめていく冒険の始まりでもある。
友達同士や異年齢の関わりの中で、自分の意思をはっきりと伝えなければいけない強さを持
つことだけは指導している。トラブルを大人が回避するのではなく、自分達で、解決する力を身
につけさせるのだ。お金を貸したくなければはっきりと断ること、いやなことは、いやだと意思表
示することで、相手も引き際を考える。これは、受身になる子には、少しの強さを、我が強い子
には、少しのやさしさを持ってもらいたいからだ。また、それをまわりで見ている子ども達には、
見ない振りはせず、サポートするよう促している。大人のいない所でも、負けてしまわないよう
に、自分の身は自分で守り、困った人には力を貸してあげられるように育ってほしいからだ。
子ども達は、よく身の上話をする。家庭の不安な状況や親のぐちなど。そんな時、「でも、お母
さんには悪いと思っているんでしょ。」「親がいないと困るよね」と、何気にフォローを入れてあ
げると、どの子も「うん。」と言って、素直にうなづく。なかなか、ゆっくりと、大人とこうした話を出
来る機会や場所は子ども達にはないと思う。説教をするのではなく、話を聞いた後に大人の正
直な感想を伝えるだけ。子ども達は、建前や理想を知りたいのではなく、親や大人の本当の気
持ちが知りたいだけなのだから。
これらは、学校でも家庭でもない地域の大人として地域の子ども達にしてあげられる地域での
子育てなのではないかと思う。

B子ども達を信じて見守る
店を運営していく上で、子供達には、全く、何の問題もない。自分の気に入った居場所を壊そう
とはしないからだ。教師には逆らっても、この店では、いたずらしても素直に謝罪する。
 ある夏休みに店に来ていた中学生が叱られて家を追い出されたので、家に帰りにくいとのこ
と。それを聞いた子ども達は、「家出するの?私、4年生の時、したことあるよ。」「うちは、無理
だな。怒られちゃうよ」と、しばし、家出について話題にしていた。以前、彼は、万引の常習性が
見られたのだが、店の経営の苦労を垣間見たことや、変な癖は早く治すようにと声掛けをして
いくうちに、自然に心を開き、打ち解けるようになった。この店が居心地の良い居場所となり、
いつのまにか悪さをしなくなっていた。そんな彼のことを、私は、「許し」「認め」「信じ」ていたの
で、「電車に乗って、繁華街に行くようなことはしないだろう。地域をブラブラしているなら、それ
ほど心配はないだろう」と思って見守ることにした。ほとんどお金を持っていないというので、い
ざという時のため、テレフォンカードを渡しておいたのだが、後日、ほとぼりが冷めた頃、家に
戻ったとの報告があった。様々な親がいる。家庭環境や社会環境が改善されなくても、いま、
この世界で子ども達は生きていかなければならない。ようやく、地域の子供達を地域の人で守
っていこうという動きが増えてきたのは、うれしいことだが、親でも教師でもない地域の大人達
の関わりは、監視の「冷たさ」ではなく、見守る「あたたかさ」であってほしいと願う。悪いことを
するのではないかと、不信な目を向ければ、期待に答えて、悪いこともする。「自由にやりな、
困ったら助けてあげるよ」と見守れば素直にもなる。『子供達は、大人が本気かどうか見抜く力
を本能的に持っている』ことを忘れずに、大人達が飛び交う情報に惑わされず、目の前にいる
子供達を自分の目でしっかりと見つめ、生の心で触れ合えば、ちょっとした出会いや声掛け
が、悪い道への誘惑を踏み止まらせるものになり、立ち直るきっかけにも成り得るのだと思う。
 
Cアットホームな雰囲気
 駄菓子屋で、子ども達との関わりというとおばあちゃんが浮かぶ。これは、老人と子どものや
りとりのペースがなんとなくマッチしていて、ほのぼのとするからだと思う。子どもというのは若
いお兄ちゃんやお姉さんだと、手加減せず、体全体でぶつかっていく。しかし、老人に対して
は、ある程度、本能的に、無茶をしてはいけない・・と感じるところがあるようだ。うちの店でも、
当初、あそびの指導、仕入れから販売、帳簿付けまで、私ひとりでこなしてきたが、駄菓子屋
以外の仕事も増え、体調を崩してしまったのをきっかけに、今では、ほどほどに店番も母親に
任せたりしている。私の母親(いわゆるおばあちゃん)が店番だと子ども達が流行の話などをし
てきても全く噛みあわず、子どもは、多少知らないことをからかったりしながらも、それが、おも
しろいようで、おばあちゃんの方は、笑われても全く動じず気にせず、あっけらかんとしている。
老人と子ども達の触れ合いは、独特なものがあり、本人達同士でなければわからないニュアン
スがあるようで、私とはまた違った関わり方をしている。私の父親も混雑時には、自転車の整
理をしたり、不足の駄菓子を補充したりと顔を出すので、家族できりもりしているアットホームな
雰囲気を子ども達も気に入ってくれているようだ。私が、店に出れなかった時も、その日のデー
タ−、子ども達や近所の様子などの報告を受け、忘れ物やトラブル、問い合わせ等の対応や
子ども達からの要望は、必ず、私が確認し、対処している。この辺が、ただの駄菓子屋との違
いであり、居場所を意識しているところのたいへんさや楽しさでもある。

(4)効果
@異年齢
 5年目を迎え、様々な効果が現れている。異年齢、違う学年同士はもちろん小学生と中学
生、時には高校生も一緒になって、会話を楽めること。また、違う学区の子ども達との出会い
の場ともなっていること。特に、私立に通う子にとっては、地元の子との交流の場、居場所とし
て役立っているように思える。これは、意図してこちらが進めていることではなく、子ども達の世
界では、とても自然なことであり、大人が全く介入していないところにポイントがあるように思う。
社会的視野が広がることにより、様々な考えや行動をする仲間を知ることになる。「おごって」
と言われたり、お金の貸し借りを経験したり、万引きについて考えたり、茶髪のお兄さんと話し
たり、将来を語ったり、生きる力の免疫力が高まっているように思う。

Aひとりのお客として
 駄菓子屋にとって子ども達は言わばお客である。子どもではあるけれど、店では、子どもをお
客として扱う。ここに、子どもを子どもと見ない、人間対人間の関係が生まれる。これは、恐らく
子ども達にとって"大人よりも優位な立場の感覚"というのを感じているのではないかと思われ
る。「いらっしゃい」「ありがとう」と言われることにより、一人前に扱われた喜びは、親子で来た
幼児でさえ、そのうれしそうな表情からとってうかがえる。ここにくれば、認めてもらえる。必ず
自分を見てくれる。声を掛けてもらえる。駄菓子を購入する一瞬の関わりの中に、子ども達の
優越感を満足させている効果があるのではないかと感じている。

Bおしゃべりしながら食する良さ
 いくら栄養のある豪華な食事も、たったひとりで食べるのと、たとえ、ちょっとしたお菓子でも
仲のよい友達とおしゃべりをしながら楽しく食べるのとでは、消化や吸収の度合いまでも違うの
ではないかと思えてしまう。飲みニケーションというものがあるように、酒を飲みながらざっくば
らんに商談を進めたり、会議やちょっとした集まりや話し合いの場には、お茶やお菓子がある
と話がはずんだりする。面識の薄い子同士でも話がしやすかったり、ひとりで来ても誰かしらと
おしゃべり出来たり、そのうち、本音がポロリと出たり、私達に悩み事を相談したり、「ふっと」
心がゆるむのは、駄菓子を食べながらということも関係しているのだと思う。1枚のせんべいを
みんなで分け合ったり、買ったものを交換し合ったり、そんな時は、子ども達は決まって笑顔
だ。心弾ませて駄菓子をほおばることが、家庭団欒の食事を取る機会の少ない家庭において
は、多少なりとも救いのひと時になっているのではないかとさえ思う。

C店以外でも
子ども達にとって、"私"というのは、学校の先生でもなく、家族でもない大人、駄菓子屋の「た
かさん」という地域の知り合いであり地域の仲間なのだと思う。とにかく子ども達は、「こんにち
は」「あっ!たかさん」と、よく挨拶をしてくれるので、こちらも自然な声掛けをしている。自然な
声掛けというのは、その子の家庭環境や将来、学校、友達までも見据えて、また、会った時の
状況に応じて、何気なく声掛けの内容を変えることである。簡単に言うと、夕方暗い時に会った
なら、「自転車のライトつけなよ。」とか、塾に行く子なら、「遅くまで勉強えらいね。」とか、「気を
つけて帰りなね。」とか、本当にたわいもない「普通」のこと。しかし、知っている仲だから出来る
こと。地域の大人で顔見知りがいることの大切さ、安心感というのは、子ども達にとって、とて
つもなく大きな効果があるのでないかと感じている。
例えば、駅近くで、ポイ捨てをしている高校生に「見たよ!」と声をかけても因縁をつけられるこ
とはない。コンビニにたむろっている少年も「たかさん!」と声をかけてくれたりする。よく店に来
ていた子だからこそ、自然な関わりが出来る。子供達は自分の味方には決して攻撃はしない。
店以外でもこんなにも親しくなれるとは、ある意味予想しなかった驚きでもある。

(5)問題点・課題と改善策
@苦情
 OPENから現在まで、子ども達には全く何の問題も感じていない。子供たちの行動を見守
り、指導していくのが地域の大人の役割だし、子ども達というのも本質的には昔と何ら変わり
はない。それよりも、大人を敵にまわすことの方がたいへんだ。4時5時ともなると子供達で賑
わう店内だが、『子供が出入りするだけ』でも騒がしいと苦情が来たりする。私が幼い頃は、店
の前の道で、ボールあそびや鬼ごっこなどを楽しんでいたので、開店直後は、店の前にもベン
チを置き、子ども達をあそばせようとも思っていたが、『昼間、子ども達が楽しそうにあそんでい
る声がウルサイという大人』がいるとは想像もつかなかった。防音対策で、費用もかかってしま
ったほどだ。他の駄菓子屋でも、中学生が集まって来るだけで警察に通報されたという話も聞
く。下校時間も遅くなり、塾や習い事までのわずかな時間すら、発散することも出来ない環境の
子ども達のストレスは、大人になる頃まで続き、いつか爆発し、このしわ寄せが、新たな犯罪を
引き起こす引き金となりはしないだろうか?大人の接し方に問題はないのだろうか?せめて、
昼間の明るいうちは、子ども達の元気な声を聞いたなら、「楽しそうでいいね。」と褒めるくらい
の心のゆとりを持てないものか?
 しかし、子ども達には、この店の「人に迷惑をかけない」ということをキーワードに、ゴミはきち
んと店のゴミ箱に捨て、自転車はきちんと並べて止める、大声は出さない、席は譲り合ってひと
り30分までと約束を守ってもらい、子ども達も、誰かが騒ぎすぎると「たかさんに迷惑かかるだ
ろう。」と声を掛け合ったりしてくれている。大事な居場所が無くなっては困ると、協力してくれる
ので、助かっている。子ども達にとって、かえって色々な考えを持った大人がいるんだというこ
とを知ってもらえるいい機会だと思うしかない。

A大人の理解
駄菓子屋と聞くだけで、あまり子どもにはよくないというイメージを持たれる人も少なくないと思
う。OPEN当初は、学校でも「用も無く、お金を持って、お菓子屋やおもちゃ屋をウロウロしては
いけない。」というプリントが配られたり、PTAの夕方5時のパトロールでも、いきなり店に入って
きて「小学生は、すぐに帰りなさい。」と叱る人もいた。もちろん、子ども達のために良かれと思
っている行動なので、当然といえば当然のことであるが、一部家に帰れない事情のある子は、
このパトロールを避けるため、公園や商店街に隠れに行くこともあった。ここに大人が望む子
どもとの関わりにギャップが生まれてしまう。大人達は子ども達に何を望んでいるのか?悪影
響を避け、大人に都合のいいまじめな良い子だけを作りたいのだろうか?という疑問さえ浮か
びかねない。
しかし、ここ数年、児童館も6時まで開館したり、帰りの時間もそれぞれの家庭で親と子どもで
約束して決めれば良いのではないかとか、学校も完全週休2日制になり、土日にPTA主催のイ
ベントを行ったり、子ども達に色々な体験をしてもらおうという機会や時間も増えてきたお陰で、
今では、PTAの見回りもきちんと挨拶をして下さり、「何か子ども達に変わったことはありませ
んか?」と気を使ってくれている。PTAの研修にも声を掛けて下さり、子ども達の店での様子を
話す機会も増え、"地域の子ども達を見守っている駄菓子屋 "ということを理解してもらえるよ
うになってきたと思う。
たかさんちの大きな問題点・課題である「大人達の"駄菓子屋""子ども達"への理解」は、皮肉
にも、子どもをターゲットとした犯罪が増え、子ども達を守れるのはやはり、地域の大人達なの
だと改めて気付かされた今こそ、良い方向に向かわせる良い時期にきていると思われる。

3.今後の方向性
居場所として
 @子どもについて
 今は、おしゃべりを中心に子供達のエネルギーを発散させたり、ここでの出会い、経験を大
切に見守っているが、近い将来には、一歩進んで子供達のエネルギーを新しい物へと生み出
す力へ変えて行きたいと考えている。子供達のエネルギーというものは計り知れず、好奇心と
いうものは、エスカレートしていく。あそびが行き過ぎると、いじわるやいじめとなり、いたずらは
犯罪へと繋がっていく。楽しさの満足さが間違った方向に向かないように、好奇心の先が夢を
かなえられるような場所にしていきたい。

A親子でも気安い場所に
 今は、小中学生をターゲットとしているが、いつか就学時前の子どもを持つ親達がもっと気軽
に来れるように午前中も営業し、子育ての息抜きやのんびりとしたコミュニケーションの場にも
なれればと考えている。 

Bキッズ・スペースの併設
 現段階では、ただの夢でしかないが、将来的には、子ども達の夢を叶えられる場所を築きた
いと考えている。ダンスや音楽の練習をしたり、漫画や文章を書いて同人誌を発行したり、そ
んな作業の出来るスペース、スタジオのようなものだ。時にはダンスやバンドのライブの会場に
なったり、人形劇などを幼児達に見せてあげたり、親子のサークルも活用出来るようなミニ児
童館のイメージだ。併設した駄菓子屋で、夢や楽しかったことを語り合うのもいいなと思う。
 
C世間に伝える
 今、現実的に進められることは、ここでの様子、「今の子ども達について」を広い社会で理解
してもらうことだ。マスコミを通じて聞こえてくる話は、どうも過剰反応しすぎのきらいがある。子
ども達も「今の子どもはきれやすい」という情報を聞き、「俺達はきれやすいんだ」と思ってしま
うのではないか。ここでは、出来るだけ子ども達の良い所を世間に伝えていく役割をしていきた
いと思っている。

駄菓子屋として
 @駄菓子の魅力
駄菓子は、選ぶ、買う、食する楽しさの他に、食べ方の楽しさもある。練飴を白くなるまで練っ
たり、ソースでせんべいに絵を書いたり、せんべいを挟んで形を作ったり、水を加えると泡がモ
コモコ出てきたり、舐めると色や味が変わったり、食べれるおもちゃとも言えそうである。食べ
物であそぶなんてなどと、固いことを言われたら困るが、駄菓子の魅力のひとつと言える。
また、なんと言っても、くじつきというのにもっとも大きな魅力を感じているようだ。大人も宝くじ
を楽しみにしているように、当たると何とも幸せな気分になる。子ども達はなぜか、くじに当たる
ことに憧れ、当たった人を羨望の眼差しで見る。どんな子が当たろうが「すごい!」と尊敬の念
を表す。ちょっといやなことがあっても、くじが当たれば大はしゃぎ。たまに調子に乗って買いす
ぎるのも経験のひとつ。後で後悔して、次からは、買い過ぎないように注意するのも勉強だ。
こんな駄菓子の魅力をもっと追求し、新しい駄菓子を開発していきたいと考えている。

A食する研究
みんなで、駄菓子を食べながらおしゃべりしたり、楽しんだりする効果の研究もしていきたいと
思っている。実際に、同じ物を食べても、その環境によって違いがあるというのを聞いたことが
ある。駄菓子屋で集って食べたり、買ったものを公園に行って楽しく食べたりすることは、遠足
に行くと、おにぎりがいつもよりおいしいように、何かきっと体にも良い効果があるのではない
かと思っている。

4."駄菓子屋"の可能性
居場所になり得る"駄菓子屋"を増やす方法 
 @行政の助成を期待
 最近では、駄菓子屋をやりたいと思っている人も増えていて、視察に来る人が多い。ホーム
ページのアクセスも多く、問い合わせや助言を求めるものもある。自分の敷地にプレハブの駄
菓子屋を立て、子育て中の母親も気軽に集まれるようにしたいという人もいれば、ハンディキャ
ップのある子を持つ家族が家を開放して、子ども達が気軽にあそびに来れる場所にしたいとい
う望みを叶えるべく、その地域の人達が訪ねて来たこともあった。
 もはや、駄菓子屋は、営業目的から子ども達の居場所としての機能に期待をされているとも
受け止められる。
 そこで、視点を変えて、子ども達の地域に必要な場所ということで、行政から援助をしてもら
えないかと考えている。実際、区役所に足を運び、話を聞いてもらったが、まだまだ、理解され
ないのが現状ではある。ボランティア精神から「駄菓子屋」をアイテムとして子育てに一役買い
たい人に、せめて経費の補償があればと願う。子ども達から消費税を取れないことなど、売上
だけでは到底維持できるような時代ではないからだ。

 A児童館や公園に駄菓子屋コーナーなどを
お菓子を食べながら、おしゃべりをしたり、交流を図るのもひとつの「あそび」と言える。お金の
使い方や、社会のルールも指導できる。児童館や公園に駄菓子屋コーナーを設け、行政の管
轄で駄菓子屋をやるのもひとつの手ではないかと思う。
また、月に何回か行政のスペースを開放している地域もあり、そんな時にみんなで駄菓子屋を
やって、そのまわりで、あそぶのも楽しい試みではないかと思う。

B大手チェーン店にもぬくもりを
一見、大手チェーン店は増えているように思えるが、子供によると、「10円のお菓子が20円で
売られているよ」などという情報もあり、いわゆる子ども達が集う駄菓子屋とは違い、子どもの
客離れも見られ、なかなか苦戦しているという状況もあるようだ。ある大手駄菓子屋チェーン店
では、今後の対策に地域とのコミュニケーションを取り入れていきたいとの発言もある。こうい
った駄菓子屋の広い店舗の片隅で、紙芝居や人形劇(学生のサークルなどやりたい人はけっ
こういる)を行い、駄菓子を食べながら、みんなで楽しむ、駄菓子を売るだけでなく、子ども達に
何か夢を与える、そんなノウハウを伝えていけたらと思う。

C子供達の発想、情報、エネルギーを生かす
駄菓子屋自身を減らさない方法も考えている。例えば、駄菓子や、おもちゃの製造元にコンタ
クトを取り、専属のモニターとなること。新製品を送ってもらって、子供達に意見を聞いたり、こ
ういう商品があればいいなということを考えてもらったり、今はこういうのが流行っているよな
ど、子ども達の生の情報を、定期的に伝える。モニター会議を持つことや、アンケートを実施し
て、アイディアを提供する代わりに、謝礼をもらえれば、駄菓子屋の経営も潤い、子ども達の考
えも、生かされ、良い商品が生まれ、子ども達も社会のしくみが勉強でき、企業のためになる
のではないかと思っている。「子ども達の居場所」から「生かせる場所」への期待も膨らむ。

Dデパートの屋上を駄菓子屋にする
今や閑散としているデパートやスーパーの屋上にぜひ、駄菓子屋を作りたい。自然を感じなが
ら、お菓子を食べたり、紙芝居などのイベントを行ったり、親の買い物を待つ時間、子どもだけ
で、少ないお金でも買い物を楽しめる。子ども好きな、販売人と会話したり、屋上なら交通事故
などの心配もないし、新しい子ども達のたまり場になるのではないだろうか。機械の遊具の変
わりに、公園のように緑でいっぱいにし、のんびりのびのびした環境になればなおさらいい。

(2)"駄菓子屋"から学べるもの
@自然体の関わり
 実は、子ども達は、大人のセッティングしたものは、「あそび」とは、受け止めず、「イベント」と
解釈しているのだと思う。自発的に、自分達で、考えて行動して楽しむのが「あそび」なのだ。
だから、駄菓子屋に来ることは、「あそび」と言える。大人達が居場所として提供したものは、
自然発生的な居場所とは言えず、「あそばせてくれる所」、「イベントを行う所」にすぎない。よ
く、言われるのが、キャンプファイヤーで盛り上がった後、「先生、もうあそんでいいですか?」と
聞かれるとのこと。たった今楽しんでいたのはなんだったのか?と思うほど、子ども達は自由
になった時間を思い思いに過ごすのだという。駄菓子屋も実は、歴史を紐解いていくと、店自
体が駄菓子屋と名乗っていることより、子ども達が「駄菓子屋」だと認識した時に「駄菓子屋」と
いう存在になるのだという。「たかさんち」は、居場所を意識して始めたものだが、子ども達は
「駄菓子屋」という認識をしてくれている。飾らない、気負わない、無理しない、自然体で、子ど
も達と関わっているからこそではないかと思う。子ども達をファインダーで覗かず、生の、あり
のままの姿を理解し、対応している。我が子ですら、運動会では、生の姿を追わず、カメラ越し
に追いかけ、目の前にいる子どもに話を聞く代わりに、マニュアル本や専門家の意見を聞こう
とする。
また、公園には危険防止などの手が加えられ、すべてのものが、管理、合理化され、子ども達
の創造性を伸ばせる自然などもうどこにもないように思える。「あそび」が生まれる環境がな
い。「イベント」が悪いわけではなく、「あそび」も無くては困ると感じている。自然な生の関わり
が、出来たなら、地域での子育てや子ども達の見守り方にも昔の下町のような「なつかしい人
間関係」が自然に生まれ、戻ってくような気がする。実際、店を始めてから「子どもがお世話に
なっているから」と、いただきものなどが増え、こちらもお返しをしたりと、近所の人達とのふれ
あいの機会が多くなってきている。

A駄菓子屋の周りであそべる地域 
昔、駄菓子屋の周りは、あそびの基地であった。また、忙しい親達が「ほら、あそんでおい
で!」と、小遣いを与え、地域で子ども達の面倒をみる子育ての役割も、少なからず担ってい
た。今は、先回りした環境作りや、大人の都合で考える子どものために良かれということは、行
き詰まるばかり。何が、子ども達にとって必要で、どのような環境がよくて、どのような子に育て
たいのか、どのような子育てをすれば良いのか、など、"大人(大人の都合)"が考えるのでは
なく、子どもの目線に立って、今一度立ち止まって真剣に考えなければいけない。
なぜ、駄菓子屋を拠点とした子ども達のあそびの環境が良かったのかを考えると、自然に子ど
も達が集まった社交場だからではないのかと推測される。子ども達が、自らが「駄菓子屋」と、
認知し、自らの意思で集い、自らが考えたあそびに興じる。大人が介入していない。大人達も
その空間を認め、口出しをせず見守る心のゆとりがあった。
しかし、子ども達は、所詮子どもであり、善悪の判断は甘い。そこで、大人である駄菓子屋の
店主が、時々、地域の大人として見守る。ここに、子ども達が暴走しない安心感があったので
はないかと思う。
このようなイメージで、「たかさんち」は、実践しているが、やはり、地域の人達の理解というも
のは計り知れない。駄菓子屋の周りで子ども達が楽しそうにあそぶことの出来る地域を作るに
は、もしかしたら、今、店に来ている子ども達が、近い将来大人になった時ではないかとも思
う。 

〜まとめ〜
・評価
「たかさんち」は、お陰さまで、その意図するところに関心を示してもらい、青少年育成、レクリ
エーション関係などからも、シンポジウムなどの事例発表や執筆の依頼もあり、居場所として
の可能性に期待されていると受け止めている。また、社会教育を研究する大学の先生、地域
の小学校の先生、文化祭や授業で研究発表をする中・高校生、卒論に取り組む大学生など、
年代を問わず、訪れる人も多い。ホームページで、狙いを公表し、駄菓子屋関係のページにリ
ンクさせてもらっているということもあるが、マスコミの影響も大きい。出版関係は、「たかさん
ち」という駄菓子屋を紹介するものから、独立開業の視点からまとめたもの、地域の居場所と
しての役割を書かれたものなど、様々である。また、ラジオでも、子ども達の様子を店から生中
継したり、地元のFM局で、30分にもわたって、座談会形式で収録したり、テレビでも、NHKを
始め、計4番組のオンエアで、こちらの意識している、子ども達の良い所を伝えたいという思い
は、理解してもらえ、構成も納得のいくものが多かった。
取り分け、新聞では、自分の思いを投稿、掲載され、その反響は大きく、読者から数通の手紙
をいただいた。また、毎日新聞の生活・家庭欄では、「子どもの居場所」として、「大人に干渉さ
れずに"社交の場"」「心が落ち着くと子供たち」と大きく取り上げてくれ、大学の先生のコメント
も添えてくれた。この時出会った、記者の方とは、その後も情報交換をしているのだが、この方
は「駄菓子屋の不思議」に注目し、居場所を作る大切さの中に、「ただいることができる場を全
国に」と願っている。
・望むこと
昔、子ども達は、地域のどこにでも、自由に何の心配もなく、「ただいること」が出来た。「居場
所」など、作る必要もなかった。ところが、いつしか、取り巻く環境の変化に応じてか、子どもは
子どもで集められて、それが、まるで良い事かのように囲いが増えていった。しかし、バリアフ
リー、参画、共存などのように、囲いを外した、地域での子ども達とのふれあいも必要では?
と、思われる。
先日、テレビで、扱っていた「子ども達を守るには」という番組の中で、子ども達の登下校の時
間に合わせて、地域の人たちが、玄関先で、花に水をやったり、掃除をしたり、特に高齢の方
が、自然な形で子ども達を見守っている姿がとても印象的だった。顔見知りになると、挨拶を
かわしたりしていた。逆に子ども達の安全を守ろうと、腕章をして地域をパトロールしたり、旗を
持って、集団登下校させたり、ひょっとしたら、こういうことは、それぞれの負担になり、この地
域は危ないからと、不安を与えてしまう恐れもあるのではないかと感じた。
また、違う番組では、地域で、悲鳴のようなものを聞いた時は、無視するのではなく、外に出る
とか、窓を開けるとか、とにかく行動を起こすように促していると、紹介していた。実際、子ども
の悲鳴を聞いた近所の人が窓を開けて外を見たとたん犯人は逃げ去り、未遂で済んだそう
だ。虐待を知ったら通報するなど、地域に目を向ける動きはでてきている。
自分達の地域は、自分達で守る。自分の地域の子ども達は、自分の地域で子育てをしていく。
それには、垣根を越えて、子どもの居場所同士が繋がりあうことも必要だと思い、近所の小学
校や児童館にも、機会があるごとに顔を出すように心がけている。
・リニューアル
居場所を持たない「子ども会」の存在にも期待したい。「地域という拠点」で活動できる「子ども
会」の存在は、今こそ、子ども達との共存を取り戻すカギを握っているように思える。昔のもの
でも、初めて見る人には、新しく感じ、昔の歌などをリバイバルして、アレンジしなおしたもの
も、新鮮に思えることができる。「駄菓子屋」も「子ども会」も、銭湯が健康ランドにリニューアル
したようなイメージで、進化を遂げれるのではないかと思っている。
最初は少々不自然(大人の意図を感じたり、介入しても)でも、いつかそれが自然で当たり前
になる。子ども達が子ども達の手で居場所を作ることが出来なくなった今こそ、大人達が「自然
な」居場所作りに「自然に」手を貸す時ではないかと思う。
・心にやさしい地域
ある人が、「駄菓子屋は心にやさしかった」との感想をくれた。この報告書をまとめることが、
「心にやさしい地域」に一歩近づけるようなきっかけになればと願う。
ルーズソックスにミニスカート、つけまつ毛の女子高生が「久しぶり」と、店内に入ってきた。子
ども達は一瞬「ギョッ」としたが、「たかさん手伝うよ。」と、品物を棚に並べ始めた。「たかさん
ち」は、心がやさしく、素直になれる子ども達の居場所として、いつでも、いつまでも、子ども達
の故郷、帰って来れる地域で、末永く続けていきたいと思っている

〜駄菓子は心の栄養。駄菓子屋は心のふるさと
〜ちょっぴりちがう風を届けたいbyHIROKAクリエイ

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